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コラム

ゲームAI開発者 三宅 陽一郎① 人工知能・AIは西洋哲学から始まった? 


@LIFUL HUBにて

シリーズでお伝えしているLDCイノベーション連続講座レポート。
第十回目のゲストは、ゲーム業界を牽引する人工知能の開発者、三宅陽一郎氏。人工知能を開発する上では、常に「知能とは何か、人間とは何か」という問いがつきまとうという。この問いを考えるに当たって足場となるのが、哲学だ。エンジニアの立場から哲学を捉えたユニークな著書「人工知能のための哲学塾(ビー・エヌ・エヌ新社,2016)」で注目を集めている三宅氏が、人工知能を、人間を理解する上で哲学がなぜ必要なのかを語る。

人間の持っている能力をまるごと備えたAIを作りたい

人工知能に関わるのに、なぜ哲学なのか。それは人工知能を理解するために、我々が人間を理解する必要があるからです。そして人工知能そのものにも人間を理解させることが大事だからです。

伝統的な人工知能というのは、例えば「翻訳ができます」「言葉が話せます」というような、特定の能力に突出したソフトウェアのようなイメージだと思います。でも人工知能の出発点でイメージされていたもの、あるいは僕がやろうとしている人工知能というのは、人間が持っている能力を丸ごと備えたもののことです。

人工知能(Artificial Intelligence)という言葉が初めて生まれたのは、1956年のダートマス会議と呼ばれる場。ここでの定義は、簡単に言ってしまうと「人間の知能の形を機械で再現しましょう」というものでした。そのためには人間の精神や知能が、どのような構造になっているのかを解き明かす必要があります。しかしここには、明快な解があるわけではありません。さまざまな捉え方=哲学があるのです。

現代の人工知能は2つの潮流にもとづいている

現代で人工知能と呼ばれるものには、大きく2つの潮流があります。1つ目は記号主義と呼ばれるもの。もう一つはコネクショニズムというものです。

まず記号主義とは何か。人間の精神というのは「言語」によって構造化されており、我々が物事を捉える時には、常に言語を用いているという考え方です。これは現代の先進国で特にメジャーな考え方です。

人間は生まれた時には、お母さんと自分の区別しかできません。育っていく過程でだんだんお父さん、りんご、妹などと、言葉を覚えることで、わかってくる。分かるということはつまり、言語的に分けるということです。

我々は言語を通じて、世界を分割しているとも言えます。それは、言語構造が世界の理解の仕方であるという言い方もできます。そこから、言葉、論理(記号)をうまく組み合わせれば知能を作れるのではないか、という発想にいたります。

これが記号主義です。いわゆるプログラム言語に基づいたもので、代表格としてはGoogleの検索エンジンが挙げられます。ネット上で集まったビッグデータを解析して利用する、といった手法もこの流れによるものです。

人間を打ち負かした囲碁AIはコネクショニズム

一方のコネクショニズムは、人間の脳や体はあらゆる機能からできているのだから、そっくりの物質や機能をつくればよい、という発想です。例として、囲碁で人間を打ち負かした“AlphaGo”が挙げられます。これは一見ロジックで成立しているように見えますが、実は碁盤を画像認識し、判定するという仕組みでできています。視覚の機能をテクノロジー化したものです。

記号主義が人間の左脳的な面を担っているのに対し、コネクショニズムは音や映像など、人間の右脳に近しい機能を備えていると言えます。このように人間の機能を数学的モデルにしてシミュレーションしてみる、といったことをやった結果出てきたのが、ニューラルネットです。

そして近年話題になってきたディープラーニングは、このニューラルネットの流れから生まれたものです。この2つの根底に流れる思想は全く違うもので、相容れないまま現在に至っています。

記号主義の方は、日々コツコツと機能が進化しています。Google検索も記号主義にあたり、気づかれない程度に毎日進化しているんです。一方、コネクショニズムの流れの方は、ある日突然ブレークスルーします。これまでは大きく3回、ブレイクポイントがありました。

最初は人間の脳にあるニューロンの仕組みが分かった1962年からの10年弱。2度目が、ニューラルネットの思想が出てきてからの10年程度。そして最近それを改良したものとしてディープラーニングが登場し、ブームになっているのが3度目です。

記号主義の人工知能の源流を辿るとどこに行きつく??~西洋人は論理的に世界を表現しようした~

人工知能は、いつの時代からやってきたのでしょうか。歴史を振り返ってみると、記号主義のもととなる「思考の算術化」に貢献した科学者や哲学者たちに行き当たります。17世紀に活躍したデカルトの考え方は、近代哲学の基礎となりました。この時代は様々な議論や宗教が混在しており、学問全体がまだ体系化されていない時代でした。

デカルトは、学問全体をユークリッド幾何学のように体系化できないか、と考えます。そのためには、あらゆる学問の出発点がなければならない。「我思う、故に我在り」というように、いろんな疑問の出発点となるのは自分という存在だと考えます。自分から出発し、いろいろな推論によって学問を作っていこう、という思想から発表されたのが「方法序説」です。

その次に、万能の天才と呼ばれたライプニッツという人が出てきます。デカルトは数学を基本として論理的に世界と捉えようとしましたが、ライプニッツは、我々の思考の運動そのものは記号の記述によって表現できるのではと考えました。これが有名な普遍記号学と呼ばれるもので、いわゆる論理学です。彼は実際に記号だけが並ぶ本を執筆して、これが人間の精神なのだ、と説きました。

その後道半ばで亡くなったライプニッツの想いを、フレーゲ、ラッセルなど多くの哲学者たちが継承していきます。そして20世紀初頭になって、チューリングが記号の操作系で人工知能の理論を作ったとされています。このときは、ラッセルの記した数学の基礎に関する著書「プリンキピア」の講義をプログラムに教え、その中の定義を自動証明させたんです。これが実は、世の中で最初にできた人工知能のプログラムと言われています。

このように見ていくと、記号主義の人工知能は、350年ほどかけ、西洋の哲学者、科学者たちが論理的に世界を表現しようとしたところから発展してきたといえます。

続く…!

文:武藤あずさ
撮影:梅田眞司

ゲスト紹介
三宅 陽一郎
京都大学で数学を専攻、大阪大学大学院理学研究科物理学修士課程、東京大学大学院工学系研究科博士課程を経て、2004年よりゲームAI開発者としてデジタルゲームにおける人工知能の開発・研究に従事。
東京大学客員研究員、理化学研究所客員研究員、IGDA日本ゲームAI専門部会設立(チェア)、DiGRA JAPAN 理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員。著書に『人工知能のための哲学塾』