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コラム

東京工業大学教授 中野 民夫 自分の世界を調える~頑張らないことの大事さ~

 

 

シリーズでお伝えしているLDCイノベーション連続講座レポート。
第八回目のゲストは、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授でワークショップ企画プロデューサーの中野民夫氏。2017年に大田区池上の古民家カフェ「蓮月」を借りて行った「自分軸を探求するワークショップ」が好評だったため、今回再度開催となった。2018年は鎌倉の光明寺をお借りし、「自分の世界を調える」をテーマにヨガと瞑想を取り入れたワークショップ。参加者でライターの武藤あずささんのレポートをお送りする。

身体という入り口から、自分を探求する

1日かけて自分の頑張りの源を見つけ、それを支えるものは何か、探っていくことを目指している。だが、日々めまぐるしく変化する環境に対応していると、自分のエネルギー源は何かということはおろか、そもそも今自分は何を感じているのか、ということすら分からなくなりがちだ。たとえ1人でいる時も、頭の中が「あれやらなきゃ、これもやらなきゃ」と次のことでいっぱいになる人も多いだろう。
今回は、自身の奥深くにある静かな部分を探求できるように、全体の3分の2ほどは他者とコミュニケーションをあえて取らず、各々静かな時間を過ごした。その入り口となったのは、身体を調えること。身体を動かしながら、自分の内側で何が起こっているかを感じ、味わい、心地よいニュートラルな状態に持っていけるよう時間をたっぷりと使った。

大事なのは頑張らないこと

最初に行なったのは、ヨガ。ご自身も国内外で様々な体験をしてきたという中野氏は、ヨガに取り組む前に大事な心得を教えてくれた。
「まず1番は、人と比べないこと。よく、薄目を開けて横の人はあんなに曲がってるのに自分はできていない、などと比べてしまいますが、人にはそれぞれ、何十年もの歴史があって、その結果今ここにあるわけですから、今の自分そのままの身体と仲良くしよう、という思いでやってみてください。

2番目は、頑張らない。日本人って真面目なので、こういうポーズをとりましょうと言うと、ちょっと無理して頑張っちゃって、筋を痛めたりするんですよ。ヨガの究極は自分と仲良くなって、何が心地よいか身体でわかるようになること。だから途中で、無理だなと身体が感じたら、その時間は何もせずにゆったり過ごしてください。

3番、ゆっくり丁寧に。ヨガが体操と違うのは、一瞬一瞬に気づきを持ってマインドフルにやっていくということ。ただ言われたポーズを取るだけでなく、そのとき自分の身体の中で何が起こっているのか、体温はどうなっているのかといったことも含めて感じてみてください。」

畳敷きの空間に天井を仰ぐようにして寝転がり、手足を遠くに置くシャバーサナ(弛緩)のポーズから始まった。最初は周りの人が気になり、うまくリラックスできないが、中野氏のガイドに従って身体を動かすと、少しずつ緩んでいくのが感じられる。
「親指を手の中で握り込めて、肘や肩で床を押します。お尻や腰でも床を押します。顎を引いて、顔をくしゃくしゃにして、ぎゅっと力を入れる。まさにちょっと頑張ってから…一気に緩めます。この時、身体の内側で何が起こっているか、感じてみてください…。呼吸の流れ、血の流れ、いろんな気の流れを、味わってみます。」

 

自律神経のうち、自然の中で闘争や競争が起こった時に活性化する交感神経が、現代人は過剰に働いているという。ヨガを通して緊張と弛緩を繰り返しながら、リラックスする時に働く副交感神経とのバランスを調えていく。そのうち、ようやく周りの人が気にならない程度にリラックスできる。脚や手をゆっくりと持ち上げ、ゆっくりと下ろすといった、動作としては単純なものだが、感覚を味わいながらやっているうちに、身体と外の世界がつながっていくような気がしてくる。

「ゆっくり胸を開いて、今の呼吸を丁寧に感じてみてください。呼吸が鼻から気道を通って肺まで入っていく様を感じて…。酸素が身体を巡って、身体から受け取ったものが肺に戻ってきて、やがて身体から出て行きます。」

趣ある光明寺の一角で、しとしとと雨の降る中行うヨガ。こうした場の力も、私たちが奥深くを探求する助けとなる。

「光明寺のご本尊は、阿弥陀如来様です。阿弥陀如来という名前は元々アミターバ、アミターユスという言葉からきていますが、これは「計り知れない光・命」という意味なんですね。だから無限の光を象徴化したのが、この阿弥陀様です。今日は、頑張ろうとぎゅっと握りしめていた拳を開いて、阿弥陀如来様に無限の光の中で掬いとられて、遊ばせていただこう、そのような思いでいてみてください。」

 

「今、ここ」の精神で、世界の素晴らしさに気づく

ヨガで身体を動かした後は、「瞑想、歩く瞑想、食べる瞑想」という3つのアプローチから「今、ここ」にある自分の感覚を感じ取っていく。

瞑想する上で組む、座禅。「足がしびれても同じ格好をしつづけなければならない」「雑念が浮かんできても、それをすぐ消し去らなければならない」という、苦行に近しいイメージを持つ人もいるだろう。だが今回、中野氏は気持ち良い状態で座りましょう、と話をしてくれた。

「座禅会などにいくと、身体を調えるという部分をすっかり端折ってしまい、最初から座れと言われることもあります。でも、いきなりでは無理がありますよね。今までやってきたヨガは、楽に座れて、瞑想が起こりやすい状態を作っていくための準備運動です。まずは体を調えて、呼吸が調って、それから心が調う。このような順番で進めるように、座禅を組みながら呼吸を調えて行きましょう。」
クッションを使いながら、身体が気持ちいいと感じる座り方を探した後、カパラバティと呼ばれる、浄化の呼吸法をやってみる。日頃から座禅をし慣れている方も「ヨガで身体をほぐしてからだと、雑念も入りにくく、全然違った感覚です」と話す。

 

 

座禅だけが瞑想ではない

所変わって、今度は歩く瞑想。光明寺の裏手には、緑豊かな小径が続き、進んでいくと鎌倉を一望できる展望台が見えてくる。そこまでの道のりを、自分の歩みと呼吸を見つめながら歩いていく。小雨が降ったり止んだりする中のこの道は、しっとりと露に濡れた景色に出会うことができ、一段と趣がある。そんな景色を感じたいと思ったら、一度歩みをとめ、豊かな景色を存分に味わうようにする。歩みに戻る時は、また身体の感覚に意識を向け、足の裏で大地をマッサージするように歩いていく。まさに「今、ここ」に目を向けるための静かなトレーニングだ。
慣れていないうちは、この「ゆっくり歩く」という動作が難しい。心地よさを感じる前に、うまくできずにイライラしたり、違和感を覚えたり。日頃いかに「早くやる」「◯◯しながら、やる」ということが染みついてしまっているかがわかる。そんな中でも、ヨガや瞑想を経て、これまでにない新たな感覚を得たという声がいくつも挙がった。
「驚いたのが、ヨガと瞑想をやった後だからなのか、景色がとても色鮮やかに見えたんです。花の色から葉の色、岩にむす苔の色まで、世界はこんなに綺麗なんだなというのを初めて知った気がしました。」
「周りの匂いの変化にもすぐ気づくようになっていました。それに、第六感が増すような感覚を覚えました。」
たった1、2時間のヨガ・瞑想の後で、目が見開かれたかのように世界が違うものに感じられる人もいる。中野氏はいう。
「がんばろうとすると、体にきゅっと力が入るんですよね。それが行き過ぎると、余裕がなくなって、感覚が閉じていって、周りとか上とか下のことも見えなくなってしまうんですね。でも身体がほどよく緩まって、今、ここに意識を向けるとハッと見えてくる、聞こえてくる世界があります。それを大事にした方が結果的に何かが深まったり、前に進んだりするということもあるかもしれませんね。」

食べることでも瞑想になる

日常で行なっているはずの”食べる”という動作にも、新たな発見があった。食べる瞑想では、目の前にあるお弁当を、1口1口味わい尽くす。1口運んだら箸を置き、50回から100回ぐらい噛むつもりで味わっていく。

「今日はまず、お弁当の中で何を食べるか決めたら、それが何なのかまず目で認識して、次にその食べ物がどこから来ているんだろうということに思いを馳せていただきましょう。」

日頃は15分ほどで食べ終えてしまうであろうお弁当が、気がつくと50分経っても、ずっと心を満たしてくれていることに気づき、驚く。日頃、こんな美味しいものを見過ごしていたんだなと感じさせられるひと時だった。

 

「頑張る」ことをどう捉えるか

今回のワークショップで何度も出てきているキーワード「頑張る」。数々の瞑想を行なった後、これまでの人生を振り返り、自分なりに頑張ったと思う出来事を書き出してみる。そこから「なぜ、そこまで頑張れたのか」「頑張りの源は何なのか」といった、自分を支える軸について考えていった。

 

 

頑張りが純粋に楽しい気持ち、前向きな気持ちから起こっている時もあれば、本意でなくてもやらねばならなかったり、周りの目を気にしすぎた力みのある頑張りになる時もある。”頑張る”と一言で言っても、そこには奥深い様々な意味・ニュアンスが隠されていることが感じられていく。

書き出した後は、お互いの人生の軸をなす3つの要素についてシェアしてみる。

「皆さんいろんな現場で頑張っている方々ばかりだと思います。でも頑張りすぎると倒れてしまったり、続かなかったりするんですよね。頑張るということを、我々はどう捉えて行ったらいいのでしょうか。」

ここに答えはない。しかし中野氏は考えを深めるためいくつかのエピソードを話してくれた。
「日本では割と、努力したからこそ報われるという、頑張ることを美徳とする風潮があるように思います。その中で、岩手県の前の知事はあえて「がんばらない宣言」をしていました。東京のような大都市ががんばろう!と宣言し、人を吸い上げて高度成長をしてきたけれど、結果を振り返ると様々な代償もあった。それを踏まえての宣言だったようですね。でも、東日本大震災の後には、逆に「がんばろう!岩手」とスローガンを変えたんです。ただでさえ大変な思いをして苦しんで頑張っている被災地の方々に、さらに追い討ちをかけるように頑張れと言うのはやめようという風潮はありますよね。その中で岩手県では被災した側として、自分たちを鼓舞するためにあえてがんばろう、と言ったそうなんです。こうして聞いてみると、頑張るという言葉は非常に微妙な言葉で、人に向かって言うのと自分に向かって言うのは全然違いますよね。」

 

 

その頑張るエネルギーは体の内から湧き出したものなのか

「知人に、星野先達という羽黒修験道の山伏の先達がいらっしゃいます。その先達が、「感じるままに生きなさい」という本で書いていらしたのが、滝行のこと。滝って、冷たいし勢いもものすごくあるんですよね。そこにわざわざ入っていくわけですから、頑張らないとできない世界なんです。星野先達は、若い時は滝に負けるもんかと、戦っていたそうです。だけど抗うほどに体が力み、痛みが増す。ずっと修行を続けているうちに、ある時力をふっと抜いた瞬間、水が体の中を通り抜け、滝と1つになる、ということが感覚でわかったそうなんです。それから滝行が変わった、という話をしていらっしゃいました。これは、がんばり尽くしたからこそ言えるセリフかもしれません。最初は頑張る、だからこそやがて見える境地もあるのだと」
大事なのは、頑張ろうとするエネルギーが外圧への対抗として無理やり出されているのか、自身の内側から自然に沸き起こっているか、なのかもしれない。それを確認するために、身体を調え(チューニングし)、心の声と対話してみる時間が、今を生きる私たちには必要ではないだろうか。
雨降る光明寺の美しい石庭を後にすると、ふと本殿の柱にかかった文字が目に止まった。
「心の弦、張りすぎず、ゆるすぎず。」
ふとした時、心の有りようを確認できる素敵な言葉を阿弥陀様からもらったような気がした。

 

 

文:波多野あずさ
撮影:梅田眞司

講師紹介
■中野民夫
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院
教授
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授/ワークショップ企画プロデューサー。1957年生。東京大学文学部卒。30年の広告会社勤務をへて、同志社大学教授を経て、2015年秋から現職。大教室でも参加型の授業を展開。1990年前後に休職留学したカリフォルニアの大学院CIISで組織開発やワークショップについて学ぶ。以後、会社勤めの傍ら、人と人・自然・自分自身をつなぎ直すワークショップやファシリテーション講座を実践。主著に「ワークショップ」(岩波新書)、「みんなの楽しい修行」(春秋社)、「ファシリテーションで大学が変わる」(共編著、ナカニシヤ)など。