スペシャルトークセッション:テクノロジーが進化した先に行き着く”身体性”と”人間らしさ”とは?
LDCイノベーション連続講座レポート
ラストとなる第13回、今回ゲストにお迎えしたのは、WIRED日本版編集長の松島倫明氏と、ヒューマンポテンシャルラボ代表の山下悠一氏。本講座コーディネーターの宍戸が進行を務めるトークセッションとなった。AI化が加速する現代で重要な”身体性”というテーマから、テクノロジーの進化した先に行き着く”人間らしさの定義”といった、哲学的な話にまで踏み込む内容となった。
目次
アルゴリズムで捉えられない“人間らしさ”はどこにあるのか
(WIRED日本版編集長松島倫明氏)
宍戸:今回のキーワードは「新しい時代の学習Mind&Body」です。今までは学習というと脳内の仕組みに目が行きがちだったところから、身体とマインドのつながりが注目されています。松島さんも身体性に興味を持たれて、今鎌倉でトレイルランを日常に取り入れていらっしゃるんですよね。
松島:そうなんです。走りたくて鎌倉に引っ越しまして、今は家から5分位で山に行けます。トレイルランで山道を走っている時って、瞑想しているような感じなんですよね。地面には起伏があったり何か落ちていたり、一歩一歩のステップが常に違うので、集中しなければいけません。でも同時に、リラックスもしていないとうまくいかない。それが面白いところなんですね。
僕が身体に興味を持ったのは、前職で編集者をしていた時に「脳を鍛えるには運動しかない(NHK出版,2009)」という本に出会ったことからでした。当時は高度化したMRIでいろいろな脳の動きが解析できるようになってきた頃で、脳トレも流行ったように、脳科学領域への注目度が高かったんです。
2045年にAIの能力が人間の知能を超えるという内容で話題になった「シンギュラリティーは近い(NHK出版,2016)」の世界観というのは、脳の構造は全て解析してデータ化でき、それをダウンロードすることによって人間の知能がAI化できるというものでした。
でも「脳を鍛えるには…」では、有酸素運動をすることが実際に脳のシナプスを育て、互いをつなげていくというように、身体と脳が切り離せない関係にあることが示されたんです。ここから、MindとBodyのつながりに関する研究が積極的になされるようになりました。アメリカの心理学会で、うつ病の治療としてウォーキングによる有酸素運動が有効であると示されたのも、この頃です。
宍戸:身体性がこれからの時代大きな鍵を持っているのではないかという意見は、いろんな角度で言われていますよね。身体性とテクノロジーは対比的に表現されることが多いですが、最近では”ホモ・デウス”というキーワードも出てきました。
松島:そうですね。皆さんは2017年、世界的ベストセラーになった「サピエンス全史(河出書房新社,2016)」は読まれましたか。この本は農業、宗教、科学などは全て人類が作り上げた壮大な虚構であり、それを作ることによって社会が円滑に進み人間は進化してきた、という内容なんですが、
「ホモ・デウス(河出書房新社,2018)」は同じ著者が書いた”未来”についての話で、人間とAIはどうやって暮らすようになるのか、という内容です。よく我々はテクノロジーに”人間らしさ”というものをカウンターとして当てて、テクノロジーが発達するからこそ人間らしさって大事だよね、フィジカルな部分ってテクノロジーにはないよねと考えます。
しかしホモ・デウスで描かれているのは、人間が人間主義的なものを突き詰めれば突き詰めるほど、実は人間とはなにか?が一番よくわかるようになるのはデータなのでは、という話です。
今、全世界70億人の人間がクリックしたデータがネット上にどんどん蓄積されているわけですが、そうすると一個人が知っている「人間とは」ということより、その総体として集めたデータが示す「人間とは」の方が人間をよく捉えるようになるかもしれない。
だからデータが神のような存在になっていって、データに聞けば自分のことがよくわかる、という世界がやってくる。人間主義が終わり、アルゴリズムに全て任せればいいのでは?という世界がやってくる可能性もある、ということです。こうなると、アルゴリズムで捉えきれない”人間性”というものはどこにあるのかが注目される時代になると思います。
宍戸:最近、産業でもAIで画像診断をした方が良い結果が出たり、経営判断もAIに任せた方がいいというように、よりビックデータに任せた方が他者理解を深められるという風潮もありますが、その最強版がホモ・デウスの世界観ということでしょうか。
松島:そうだと思います。今WIRED編集部で話題になっているテーマが「自由な幸福感」というものなんです。アルゴリズムに任せる時代がやってきた場合、人間の社会的自由はないかもしれないけれども、すべてがフリクションベースに進んでいく社会は悪くないかもしれない。
一方で、ある種の面倒くささを受け入れながらも、自由意志を尊重したいという風潮になるかもしれません。僕らはアルゴリズムに抵抗したくなるかもしれないけれど、そうしてまで何を得ようとしているだろう、ということを、もう一度考える社会になるような気もします。
宍戸:テクノロジーが行き着く先にある幸福とは何かという、深い哲学的な話ですね。
「心身からのイノベーション」とは
(ヒューマンポテンシャルラボ代表山下悠一氏)
宍戸:続いて、山下さんからは身体の叡智に関するお話をいただきたいと思います。
山下:よろしくお願いします。
これまでの世の中には、イノベーションを生み出すべくあらゆる”思考法”や”手法論”が登場してきました。◯◯シンキング、ハッカソン、ホラクラシーなど、みなさん馴染みのあるワードだと思います。
僕もコンサルタント時代、データに基づいて思考し様々な手法を提供する、といったことをしてきました。しかし、組織を変えようとした時に、自分たち個人の意識、個と個の関係性、感情といった内的なものが非常にないがしろにされていると感じました。
そこで僕は、山伏の修行やネイティブアメリカンの儀式など、世界中にある、自然の中で叡智を得るようなフィジカルな世界を体感し、デジタルなこととどう接続できるかを探求し続けています。
例えば、山伏。山の中に籠って、その中で死と再生に向き合いながら叡智を身につけていく修行をされています。スエットロッジというネイティブアメリカンの儀式では、真っ赤に燃える溶岩で100℃くらいになった室の中に入り、そこに水をかけて、10人ぐらいで3時間過ごすというもの。トゥモ瞑想というチベットの修行では、裸でマイナス20度の場所にいても、38度位の体温をキープできるようにする修行です。
何をやっているのかと思うかもしれませんが、これらの修行にはいくつか共通点があります。場に心理的安全性があった上で、心身に一定の制約を課しているということです。それによって、変性意識状態を作るということ。そうすることで今まで気づかなかった自分のシャドウ(自分で認められていない弱さなど、マイナス面)に向き合い、新しい自分になっていくことを目指しているんです。
実際やっているリトリートはもちろん内容は違いますが、身体感覚を日常と異なる場所において、精神的能力スキルを上げるという意味では通じるものがあります。
例えば世界で1番美しい湖のあるグアテマラや、国内のエコビレッジ、カウンターカルチャーで流行ったような自給自足的な暮らしのできる場所といったところに企業の方を連れて行きます。いつもと同じオフィスで研修をやっても、頭に浮かぶことに限界があると思うんですよね。
こうした環境を身体から感じてもらうと、明日からこうしよう、人生を変えたいなといったポジティブな発想が生まれやすくなります。各々が自分の感情・感覚と向き合いやすくもなるんです。
こうしたプログラムに取り組んでもらい、自己変容をサポートするのが僕の役割です。「身体は脳に先立つ」ということが最近あらゆる場面で言われます。過去には、それまでの思想を揺るがすような有名な実験もありました。
1983年にアメリカの生理学者ベンジャミン・リベットが行ったもので、人間が「指を動かそう」と脳で意思決定をする約0.35秒に、身体から運動準備電位というものが測定できる。つまり、我々は自由に意思決定しているように見えて、実は無意識に身体が先に反応しているということです。
これは人間には自由意志がないということかと物議を醸したのですが、こうした実験も身体が脳に先立つと言われる所以です。“思考型”の考え方は、どちらかというと西洋的なパラダイムで、今はこうした考えに基づいて世界が動いていると言えます。ですがこれからは、1つの個が全体とつながっていて、関係性によって世界は構築されていくといった、東洋的世界観と合流していくのではないかと僕は思います。
今、リーダーシップの世界でも、心身を鍛えることで意識を上げるエンボディメントという考え方が広まっていますが、これは日本に昔からある武道など”道”のつくものの世界観に近いです。アメリカには、リーダーシップを発揮する上で、思考で考えずに意識高い意思決定ができるよう、合気道を学んで身体で覚えていくという人もいます。そうすると、適切な判断が躊躇なくできるようになってくるんです。
より上を目指すというと、僕の小さい頃にあった”努力”や”根性”という世界観が浮かびますよね。英語で表現すると、Work Hardでしょうか。これは、どちらかというと西洋的な発想ではないかと思うのですが、目指している「こうあるべきだ」というものを達成してもまだ上があるわけですし、達成できなかったとしても不幸で、どちらにしてもストレス状態になるんです。
これからは努力でなく、”精進”、Do My Bestの時代になると思います。目の前のことに一歩ずつ取り組んでいく、自分の存在は、自分と他者の関係性によって成り立っているということを感じながら生きていく、TAOの時代です。身体性ある生き方というのも、こちらの生き方になるでしょう。
考えていること以上に感情、そしてその元となる身体が私たちの行動に影響していると最初に考えたのは、実は2,500年前のブッダだと言われています。ブッダは瞑想することによって、体の微細な感覚に気づいていき、最終的には量子レベルで、自分の指の先が波動でできている、それがただただ泡のようにあらわれて消えているなと言うことに気づいたといいます。
これは今の科学の考え方とも非常に近いですよね。最近になって、瞑想中の脳をMRIで科学的に分析するといった形で、仏教が科学的に解明されるようになっているわけですが、こうしたことも西洋と東洋の合流の1つだと思います。
古代、中世代には宗教主義、近代になってからはヒューマニズムという、人間中心主義で物事が進み、今はデータ主義になりつつあります。これが進んでいくと、松島さんも触れられていたように「データの言っていることが全て正しいなら、考えるのはやめよう」という方向に向かうのではないかと思います。
こうした時代の根底に流れている考えは、物心二元論や要素還元主義といった考え方です。でもこの先、データが世界を捉えようとすればするほど、捉え切れない何かがあるという事実に直面すると思います。
今でも「世界はシミュレーションに過ぎない」という仮説があったり、量子力学では「我々の心や意思が、物体を物質を作り出している」というような、物心二元論を超えるような話が出てきていますが、そうした考え方に世の中全体が気づいていくということです。
社会は今、大きく変わろうとしていますよね。機械的な世界から、生態系的な世界になろうとしている時に、社会システムの変化も大事ですが、1番大事なのは僕たち個々人の意識変容ではないかと思っています。
意識変容というのは、例えばイエス・キリストが言ったとされる「汝、隣人を愛せよ」について、これまでの僕らが「他人を愛するべきだ」と”努力”として捉えていたところから、「自分は世界そのものだ、相手も自分だ」という意識になっていくようなことかと思うんです。この変換と言うのが、テクノロジーではできない我々の意識がもたらす変容だと僕は思っています。
人間らしさは進化するテクノロジーに都度定義される
(松島氏×山下氏×宍戸トークセッション)
宍戸:身体や無意識の中にある叡智、そこに可能性があると言うお話を山下さんからいただきました。松島さん、いかがでしたか。
松島:あまりに全てが言語化されていて驚きました。山下さんの今回の話では、西洋と東洋をわかりやすく分けていましたが、実は西洋にいる人の方が東洋の叡智を、これまでのテクノロジーに取り入れねばならないと気づいている気がしますね。案外東洋にいる僕らの方が、接続できていないんじゃないかと思います。
山下:そうですよね。この前宍戸さんが開催された、Zen2.0というイベントの登壇者だったスタンフォード大学のスティーブン・マーフィ重松先生は、最近日本のお坊さんにマインドフルネスを教える授業をやっていると言っていました(笑)。
松島:東洋的な思想では、言語化しないことが多いんですよね。座禅をやるといったら、とりあえず座れと言われる。30年間座って、悟るかもしれないし悟らないかもしれない。それはわからない。特に身体的叡智と言われる部分って、なかなか言語化できないんですよ。一方で、西洋的な文化は、全てを言語化することによって誰もが同じ質で理解できるようにしたからこそ、地球上に広まっていった。西洋にも東洋にもそれぞれ優れた部分があるので、統合して行けば良いと思うんです。
山下:以前起きたヒッピームーブメントも、ある種の限界があって終わってしまった。それは、既存のカルチャーに対する”カウンター”という位置付けだったからだとも思います。松島さんがおっしゃるように、カウンターでなく超越(トランセンテンスカルチャー)、”含んで超える”という考えが、これから僕たち人類の意識レベルを向上させるのではないかと思うんです。例えば今、スウェットロッジやヴィム・ホフ・メソッドを万人ができるようにトレーニング化しようとする動きもその一つではないかと思うんです。
松島:なるほど。山下さんは人間の意識の深いところを探求していくプログラムを展開されていると思うんですが、「ホモ・デウス」で起こった議論の重要なことの1つに、”意識”というのは実はいらないんじゃないかという話がありました。
意識とは何か、というのは、実はまだ解明されていないんですが、意識というものがもし幻想だとしたら何のためにあるのか、インプットがあった時にそれを処理する知能は大事だけれど、そこに”意識”というものが介在する必要はないのではということです。そうすると、自我とか自身というのも必要なくなって、全てがアルゴリズムでできるからいいよね、という議論にもなるかもしれません。
山下:そうですね。ただ、アメリカかどこかの実験を聞いて面白いなと思ったのは、被験者に「あなたたちには意識というものはない、不要である」というようなことを事前に伝えいくと、その後犯罪が増えてしまったり、「自分は何もしなくてもいいんだ、運を天に任せよう」と思って、仕事や学校でのパフォーマンスが落ちるという結果になったそうです。
全てデータに任せればいいんだ、という風潮になると、僕たち人間のパワーは失われていくと思います。僕ら人間は、自由意志という強いものを求めてヒューマニズムで生きてきたけれど、その結果今、様々な部分でバランスを欠いたり、問題を起こしています。でも全ては神様、データ様と頼っていてもダメですよね。
その次は何かと考えると、これは仏教でいうところの“空”とか“縁起論”というところに近くなるかもしれませんが、全ては「ある」と「ない」が両立している世界観。全ては幻想であると捉えながらも、現世の中で僕らは物理的・時間的な自由を与えられている中で何ができるか、という意思を持って生きていく。自由意志はなさそうなんだけど、その中で自由意志を発揮して行くということが、僕らの自由なのかなと思います。
松島:人間らしさ、テクノロジーに対する人間らしさというのは、本当に時代によって変化していると思うんです。今までになかったものを引き出していくのがテクノロジーだと思うんですよ。例えば、飛行機がなければ今のようなスピードで海外との交流はできないし、逆に海外のことを考えなくてもよかったかもしれない。
電気がなければ物事は全く変わっていたと思います。そうすると新しい欲求とかマインド、「人間とは」というものを規定するものは、これから新たに生まれてくると思うんです。変化はいきなり訪れるのか、積み重ねでいくのかはわかりませんが、今の人間らしさ、というものも、もっと変わっていくのだと思います。
宍戸:今日は貴重なお時間をいただきありがとうございました。
文:波多野あずさ
撮影:梅田眞司
松島倫明
NHK出版にてデジタル社会のパラダイムシフトを捉えたベストセラー「FREE」「SHARE」や「BORNTORUN走るために生まれた」などの編集を手がけたのち、2018年6月よりWIREDの日本版編集長に就任。
HP:WIRED
山下悠一
大手コンサルティング企業の経験後、資本主義システムそのものを見直すべくヒッピー、僧侶やネイティブアメリカン等の叡智の世界に飛び込み、人間における”身体性”の重要性を認識。個人・組織の変革に生かすべくプログラムを開発し、ポスト資本主義時代における生き方、働き方、企業のあり方、社会のあり方の抜本的変革を試みている。
HP:Human Potential Lab