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コラム

AI(人口知能)が引き起こす「ケンタウロス現象」に備えていますか?

 

AIがチェス王者を倒したその後日談

今まさに注目を浴びているAIですが、1990年代にチェスの世界王者のルリ・カスパロフが、IBMのチェス専用AI「ディープブルー」と熱戦の末に敗北した事件は、AIの時代到来を予感させるに十分なものでした。マスメディアは「機械の勝利」を報じ、人によっては、まさに映画「ターミネーター」のようなディストピアを想像したかもしれません。

しかし、この話には続きがあります。カスパロフとディープブルーのリベンジマッチは果たされませんでしたが、カスパロフは「自分もディープブルーのように過去のチェスのデータベースにアクセスできれば勝てた」と考えました。そこで、AIのサポートを受けながら人間がチェスを指すスタイルを考え、この人間とAIのチームを「ケンタウロス」という名で呼んだのです。(このスタイルは現在、フリースタイルチェスと呼ばれています)

現在ではチェスにおいて、AIと人間がタッグを組んだ「ケンタウロス」が、AIに勝利するようになっています。例えば、2014年のフリースタイルチェス選手権では、ケンタウロスがAIに大きく勝ち越しました。
AIと協働して、AIを上回るパフォーマンスを残す「ケンタウロス現象」が今、注目されています。

 

 

AIは敵ではなく同僚??

ケンタウロス現象とは、AIを仲間としてチームに招き入れ、パフォーマンスを上げることです。ある意味、ヒトの能力の拡張ともいえますが、AIと協働する能力が必要になります。AIを仲間とする新しい在り様です。実は、日本人である私たちには、人口知能を持った存在について、人間と敵対するターミネーターの世界観より、仲間、友達としてのとらえることのほうがなじみ深いかもしれません。例えば、我々にとって、ドラえもんとか、アトムとかは友達だし、仲間ですよね。そこまでのキャラはなくとも仲間としてのAIと働くには以下の3つのポイントが我々に求められます。

① AIが何をしているか(できるか)を理解する(前述のように、得意なことがあり、同時に不得意なことがあります、例えば、不合理な判断はできないでしょう)
② AIと対等な関係を維持する(AIが魔法の杖と考えないこと、逆に、蔑ろにしないこと)
③ 自分自身の「問い(探究)」を止めない、質問する、学習しつづける(②とのセットになります)

① はある意味、知識として理解する必要のあること。
② はマインドセットともいえます
③ は、マインドセットと同期する私たちの行動・思考様式になります。
そこには、探求続ける力、質問する力、学習力が必要になります。その根本的力ははどうやって身につくのでしょうか?

「AIに仕事を奪われる」というような言説が数多く出回っていますが、「ケンタウロス現象」の動向を見る限りでは、「(一部の人は)AIに仕事を奪われる」と言った方が正確かもしれません。

例えば、専門知識に頼った判断を下す仕事は、知識はデータベースに置き換えられるので、今後無くなっていく可能性が高いといえます。もちろん、AIも誤った判断を下すことはあるでしょう。しかしそんなときでも、現代型のAIの根幹をなすディープラーニングと呼ばれる仕組みを通じて、次回にはより正確な判断を下すようなります。

現在のAIの得意なことは、①記憶すること ②情報を論理的に分析すること(判断すること) ③単純な作業を継続的におこなうことです。ある意味、これらの力がハイパフォーマーのスキルだった時代もありました。ただ、これからは、この能力だけで仕事をするのででは、AIとの競争になります。そして残念ながら、この競争では必ずヒトが負けます。そのためにAIと協働する必要がありますが、重要なのはAIで拡張する機能に耐えうる土台づくりです。

 

 

AIにできない“問い”を作るという能力

AIと対等な関係を築く力、AIの力をうのみにせず、常に問い続ける姿勢。「問い」を持ち続けることが、ヒトがAIと協働していくための、重要な要素になります。
一見、質問することは、論理思考から生み出されている(そこから生み出された質問は、往々にして「詰める」質問になりがちですが)ようにも思えます。しかし、本当の「問い」の力は論理的思考力だけではありません。実際には、非論理的な問い(感情に関する問いなど)を生み出すことができる力だったり、何もない白いキャンバスに何かを思い描くような能力が、私たちの基盤となる力になるでしょう。それこそがAIにできないことなのです。

センスオブワンダー(Sense Of Wonder)は、ある意味、天性の力、生まれながらのセンスといってしまってもいいかもしれません。
ただ、私たちは、後天的にこの力を培うことができます。それは、「問うこと」を思考と行動の様式にして、日々生活していくことにほかなりません。とにかく問いを立て、質問として発すること—自分へも、他人へも—。その行動様式から、我々の質問する力が育ちます。そして、新しい時代、「質問」の力をつけることが、ケンタウロスへの第一歩かもしれません。

文:清宮 普美代